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2017 FIM MotoGP™ 世界選手権シリーズ第15戦 日本グランプリ

トップページ > MotoGP™クラストップチームのピットツアーが当たる!!「MotoGP™人気マシン総選挙2017」

MotoGP™クラストップチームの
ピットツアーが当たる!!
「MotoGP™人気マシン総選挙2017」

ファンが選ぶ、その名も「MotoGP™人気マシン総選挙2017」を開催します!
MotoGP™日本GP走行マシンの中から、あなたが選ぶ、イチオシのマシンに投票してみてください!
抽選で2組4名にMotoGP™クラストップチームのピットツアーが当たります!
人気No.1に輝くのはどのマシンか、お楽しみに!8月20日(日)には投票ページでサプライズがあるかも!?当選者の方には9月下旬に応募の際にいただいたメールアドレスにご連絡をいたします。

※別途観戦券が必要となります。

  • Honda
  • YAMAHA
  • SUZUKI
  • DUCATI

投票期間
6/10(土)〜8/20(日)

人気投票に参加する!

投票期間は終了しました。

厳選24台、写真解説付き!

※横にスクロールできます。

  Ducati Honda Kawasaki SUZUKI YAMAHA
1999   NSR500   RGV-Γ YZR500
2000          
2001   NSR500   RGV-Γ YZR500
2002   RC211V Ninja ZX-RR GSV-R YZR-M1
2003 Desmosedici GP3 RC211V Ninja ZX-RR GSV-R YZR-M1
2004 Desmosedici GP4 RC211V Ninja ZX-RR GSV-R YZR-M1
2005 Desmosedici GP5 RC211V Ninja ZX-RR GSV-R YZR-M1
2006 Desmosedici GP6 RC211V Ninja ZX-RR GSV-R YZR-M1
2007 Desmosedici GP7 RC212V Ninja ZX-RR GSV-R YZR-M1
2008 Desmosedici GP8 RC212V Ninja ZX-RR GSV-R YZR-M1
2009 Desmosedici GP9 RC212V Ninja ZX-RR GSV-R YZR-M1
2010 Desmosedici GP10 RC212V   GSV-R YZR-M1
2011 Desmosedici GP11 RC212V   GSV-R YZR-M1
2012 Desmosedici GP12 RC213V     YZR-M1
2013 Desmosedici GP13 RC213V     YZR-M1
2014 Desmosedici GP14 RC213V     YZR-M1
2015 Desmosedici GP15 RC213V   GSX-RR YZR-M1
2016 Desmosedici GP16 RC213V   GSX-RR YZR-M1

※メーカー名:アルファベット順

1999年 Honda NSR500

1994年からWGPの500ccクラスでチャンピオンの座を不動のものとし、絶対王者とまで言われたミック・ドゥーハンだったが、この1999年、ツインリンクもてぎの日本GPで2位に入った後、第3戦スペインGPの予選で大クラッシュしてしまったのだ。モータースポーツファンにとってはまさかの出来事だったが、この転倒でドゥーハンは右鎖骨、左手首、右膝を骨折して以降のレースはすべてキャンセル。復活を目指した2000年だったが、それは叶わず、開幕前に引退を発表した。
一方で、ドゥーハンの欠場の後を受けて大任を果たしたのがアレックス・クリビーレだった。1994年にドゥーハンのチームメイトとなったクリビーレは、ドゥーハンが怪我をしたスペインGPで優勝を遂げ、その後も勝利を重ねて通算6勝を記録すると、ドゥーハンが守り続けたゼッケン1を堅持し、ニューヒーローの座を獲得。そしてランキング3位にはシーズン3勝を挙げた岡田忠之が入った。
なお、ドゥーハンのNSR500は、左ハンドルにリアのブレーキレバーが取り付けられていた。これは、1992年のオランダGPで負った怪我の後遺症により、右足にあるブレーキペダルが操作しにくいということからだった。

1999年 YAMAHA YZR500

エンジンのVバンク角を1997年の75度から70度に戻した1998年型YZR500。同時にレギュレーション変更に合わせて無鉛ガソリンに対応させている。また、圧縮比、マフラー形状、クランクケースロス馬力、冷却性などが見直され、キャブレターは従来のミクニ製からケーヒン製へと変更された。
1999年型YZR500は、1998年型モデルの熟成版で、Marlboro Yamaha Racing Teamからマックス・ビアッジ、Antena3 Yamaha D'Antinから阿部典史、Red Bull Yamaha WCMからレジス・ラコーが出場。阿部がブラジルで、ラコーニがバレンシアで、ビアッジが南アフリカでそれぞれ1勝をマークした。なお、シーズン途中で、ビアッジのマシンにはフロントの接地感を高めるためにフロントカウルにウイングが装着されたが、フルバンク時のダウンフォースなどの関係により、長い期間での採用はなかった。
こうしたウイングは昨年、各メーカーがさまざまな形状のものを取り付けて注目されたが、2017年から採用が不可となった。それでもその効果は間違いなかったようで、各メーカーはカウル形状を変更することでウイング効果を残している。このウイングもそうだが、2ストロークV型4気筒エンジンや、後のデルタボックスフレームの原型とも言えるアンダーループのないフレーム構成のマシンを1982年に投入したYAMAHAの技術力や発想力は先見の明があると言える。

1999年型 SUZUKI RGV-Γ

1999年、青木宣篤のチームメイトに、往年の名ライダーであるケニー・ロバーツの長男、ケニー・ロバーツ・ジュニアが加わった。そしてこのロバーツ・ジュニアがシーズンオフのテストで大ブレイクして注目を集めることになる。もともとロバーツ・ジュニアはYAMAHAや父親が指揮を執るモデナスで着々と腕を磨いたきたのだが、SUZUKIマシンを得て一気にその才能が開花した。
そのマシンは、2ストローク70度V型4気筒2軸クランクエンジンをアルミ製ツインチューブフレームに搭載。車体バランスに優れ、ハンドリング特性が向上。コーナリングスピードの高さに大きく貢献した。
このマシンを駆り、ロバーツ・ジュニアは開幕戦のマレーシアGP、第2戦ツインリンクもてぎでの日本GPで連勝。マレーシアGPでの優勝は、SUZUKIにとって1995年以来のものだったが、日本GPでの雨中での激走は圧巻だった。その後、ロバーツ・ジュニアはドイツGP、アルゼンチンGPで優勝するが、タイトルはHondaのアレックス・クリビーレのものとなった。なお、翌2000年からスペインの大手通信事業者Telefonicaがスポンサーとなり、チーム名は前年のSUZUKI GRAND PRIX TEAMからTelefonica Movistar SUZUKIへと変更。ロバーツ・ジュニアが第14戦リオGPでチャンピオンを決めた。そして第15戦ツインリンクもてぎでのパシフィックGPは凱旋レースとなり、4勝目を記録したことを覚えているファンも多いはずだ。

2001年 Honda NSR500

2001年は、Hondaにとって、そしてモータースポーツ界にとっても、大きく歴史が動いた年だ。それは、500ccクラスに転向して2年目のシーズンを迎えたバレンティーノ・ロッシがいよいよチャンピオンを獲得したからだ。
この頃のロッシにはひとつのジンクスがあった。それは、転向したクラスで2年目にチャンピオンを獲るというもので、125ccクラスにフル参戦した2年目の1997年に同クラスのチャンピオンを獲得。そして250ccクラスに転向した2年目の1999年にタイトルを手にすると、2000年から500ccクラスに転向しているのだ。
この年のロッシは、まさに最強。開幕戦・鈴鹿サーキットでの日本GPで優勝すると、第13戦・ツインリンクもてぎでのパシフィックGPでの優勝など全16戦で11勝を挙げた。ランキング2位はYAMAHAのマックス・ビアッジだったが、その差は106ポイントの大差だった。なお、鈴鹿サーキットでのロッシの優勝は、HondaにとってWGP500勝めとなった。
イエローを基調にしたマシンには、メインスポンサーであるイタリアのビールNastro Azzuroのロゴが配されており、ロッシファンのなかには、このデザインこそロッシと根強い人気がある。水冷2ストロークV型4気筒499ccエンジン搭載。なお、この年にロッシは鈴鹿8耐で優勝。これも2年目の挑戦での出来事だった。また、2002年デビューの4ストロークMotoGP™マシンHonda RC211Vは、パシフィックGPのツインリンクもてぎで、ミック・ドゥーハンとフレディ・スペンサーのライディングにより一般公開された。

2001年 YAMAHA YZR500

1999年にYAMAHAのファクトリーライダーとなったマックス・ビアッジ。その初年度はランキング4位、2000年はランキング2位と着実にランクアップしていた。しかし、2000年に500ccクラスに転向してきたバレンティーノ・ロッシが、同じイタリア出身ライダーとしてビアッジの宿敵となる。
2001年、第4戦フランスGPでビアッジがシーズン初優勝を飾ったが、これはロッシの開幕4連勝を止めるものだった。そしてビアッジは、シリーズポイントでロッシに追随して行くのだが、第13戦ツインリンクもてぎでのパシフィックGPで2人の明暗が分かれた。予選2番手からスタートしたビアッジは、トップを走行中に転倒してしまったのだ。対するロッシはこのレースを制してタイトルに王手。第14戦オーストラリアGPでビアッジはロッシと優勝争いを演じるが、最終ラップでビアッジはロッシに先行を許して決着。ビアッジはランキング2位となった。
この年、YAMAHAはWGP参戦50周年となった。また、フルシーズン最多となる8台のYZR500を投入。第9戦ドイツGPではビアッジ、カルロス・チェカ、中野真矢、阿部典史の順でYZR500が1位から4位までを独占。中野にとっては500ccクラス初の表彰台だった。一方で、2000年に3勝して大注目されたギャリー・マッコイは、2001年シーズン序盤に怪我をして精彩を欠いてしまった。
この年のYZR500はシリンダー、シリンダーヘッド、エキゾーストパイプや、YPVS作動特性、点火時期マップを見直し、加速と最高速度アップが図られた。同時に、車体ディメンションの見直しによりコーナリング性能を高めている。注目されたのが、ライダーのライディングスタイルによりリアアームがショートとロングの2タイプが用意されたことだ。

2001年型 SUZUKI RGV-Γ

2000年にケニー・ロバーツのライディングでチャンピオンマシンとなったSUZUKI RGV-Γ。ブレーキングからコーナリングスピードの高さがライバルを圧倒する結果となった。一方で、エースのロバーツからはコーナーからの立ち上がり加速とストレートでのトップスピードを上げてほしいとリクエストがあり、これに応えるべくSUZUKIはチャンピオンマシンをフルモデルチェンジする。
コンパクトに設計されたエンジンがRGV-Γの特徴でもあったが、ロバーツの要望を受けて新設計された2001年型エンジンにより、メインフレームの幅をわずかに広げる必要性があり、これがロバーツに違和感を与えるという皮肉な結果になってしまった。2001年型RGV-Γはピークパワーでの向上の他、中速域でのパワー出力も改善され、確実にポテンシャルが上がったが、ロバーツは新型マシンで悪戦苦闘を強いられる。また、この年から16.5インチのタイヤが採用されたが、これもロバーツにとっては逆風となったようで、2000年に見せた圧倒的なコーナリングスピードは影を潜めてしまった。
結果、この年のロバーツは第12戦バレンシアGPでの3位が最高位で年間ランキング11位。そのバレンシアGPではチームメイトのセテ・ジベルノーが優勝するが、ジベルノーにとってもこの表彰台がこの年の最初で最後となり、年間ランキング9位でシーズンを終えている。

2002年 Honda RC211V

2ストローク500ccのGPマシンから4ストローク990ccのMotoGP™マシンへとレギュレーション変更を受けてHondaが世に放ったのがRC211Vだ。その全貌が明かされまで、世界中のメディアが3気筒か? 4気筒だ、いや5気筒かもしれないと、そのエンジンに注目が集まった。そして明かされたのはV型5気筒で、前3気筒、後ろ2気筒で、V角は77.5度。これで一次振動を低減させ、バランサーを不要とした。
この5気筒エンジンを採用したひとつの理由に、当時の関係者は「4ストロークV型5気筒は過去のGPマシンに例がないから」と語っていたが、このあたりにHondaの物づくりに対する情熱と、それを具現化する卓越した技術力を感じるところでもあった。また、ネーミングの211Vは、21世紀最初のマシン、Vはヴィクトリーの頭文字と言われている。振り返ればHondaは、楕円ピストンの4ストローク500ccマシンNR500、2ストローク3気筒のNS500、2ストローク4気筒のNSR500と、さまざまなマシンを投入してきたが、こうした独創性とチャレンジ精神こそがHondaファンを魅了してきたと言える。
このRC211Vを駆るHondaのエースは、この年からRepsol Honda Teamの一員となったバレンティーノ・ロッシだ。全16戦中15回表彰台に立ち、内11戦で優勝を遂げている。また、第2戦サンマリノGPで優勝した宇川徹がランキング3位となった。

2002年 YAMAHA YZR-M1

YAMAHAがリリースした4ストローク990ccのMotoGP™マシンがYZR-M1で、M1のMはMISSION=使命の頭文字。MotoGP™クラスでチャンピオンを獲る使命と、その技術を市販車へフィードバックするという使命だ。
エンジンは、並列4気筒だが、YAMAHA独自の1シリンダー5バルブを採用。Hondaは5気筒で計20バルブ、YAMAHAは4気筒で20バルブであり、発想の違いが形になったと言える。また、エンジンマネジメントシステムを含めて確実なアドバンテージを得てからという理由で、インジェクションではなくキャブレターの採用となった。なお、排気量は942ccからスタートし、シーズン終盤ではフルスケール990ccとなった。また、フレームはYZR500の基本骨格を踏襲した形で開発が進み、第5戦イタリアGPでエンジン搭載位置を高くした新型フレームが投入され、このレースでマックス・ビアッジが2位に入っている。その後にビアッジはイギリスGPとドイツGPで連続2位となり、第10戦チェコでこの年の初優勝を達成。第14戦マレーシアGPで2勝目を挙げると、年間ランキング2位となった。

2002年 SUZUKI GSV-R

高い完成度を持ったRGV-Γのフレームを踏襲し、そこに4ストロークV型4気筒エンジンを搭載するという発想から開発がスタート。もちろん2ストロークと4ストロークではエンジンサイズが違うが、SUZUKIは驚くほどにコンパクトなエンジンを開発してきた。このエンジンレイアウトには、SUZUKIが誇る4ストロークマシンGSX-Rの並列4気筒も候補に上がったが、よりコンパクトに造れるという理由からV型4気筒の採用となった。
実はこのGSV-Rは、2003年から投入予定だったが、エンジニアたちの「これなら行ける」という自信が、1年前倒しとなった理由のひとつ。設計図が完成したのが2001年2月ころで、実車は10月に完成。そして2002年4月5〜7日の開幕戦・鈴鹿サーキットでの日本グランプリでデビューしており、その開発スピードの早さがうかがえる。一方で、長きにわたりグランプリシーンで親しまれたΓのネーミングがなくなることを惜しむファンも少なくなかった。なお、Telefonica Movistar SUZUKIからケニー・ロバーツとセテ・ジベルノーがGSV-Rを駆り出場。ロバーツが第12戦ブラジルGPで記録した3位が、この年のGSV-Rの最上位だった。

2002年 Kawasaki Ninja ZX-RR

ツインリンクもてぎでのパシフィックGPでベールを脱いだKawasakiのMotoGP™マシンNinja ZX-RR。この年、全日本ロードレースにはプロトタイプクラスがあり、ここには技術開発を含めさまざまなマシンが登場していたが、柳川明が駆るZX-RRがそのベースとされている。
Kawasakiは過去にKR250とKR350、さらにはKR500を世界グランプリに投入し、250ccおよび350ccクラスでコーク・バリントンとアントン・マンクによってチャンピオンマシンとなっている。一方で、スーパーバイクや耐久といった4ストロークマシンによるレースでは高い実績を残しており、4ストロークマシンでの戦いへと移行したMotoGP™への参戦は自然の流れだったのかもとれない。
エンジンは、スーパーバイクで実績と信頼性を誇るDOHC並列4気筒を採用。V型エンジンと比較して横幅が広くなるが、一次振動が発生しないこと、マフラーの寸法を同一にできることなど様々なメリットの高さを重視しての並列4気筒だった。また、吸気方式は、キャブレターの長所を融合させたインジェクションシステムを採用している。そしてフレームは、強度、剛性、伸びを確保しながら軽量化されている。
フロントカウルとテールカウルの角張った形状が特徴的なZX-RR。パシフィックGPの予選では1分51秒234でで18番手スタートとなり、決勝レースは残念ながらリタイアとなった。ただ、この参戦はあくまでも2003年からのフル参戦を見据えてのもので、その後にアンドリュー・ピットが2レースに参戦している。

2004年 YAMAHA YZR-M1

この年、バレンティーノ・ロッシがYAMAHAへと電撃移籍してMotoGP™界は騒然となった。そしてこのときの状況を、YAMAHAに来たからロッシは勝てなくなったと言われたくないと、開発にはより以上に熱が入ったことを当時のスタッフは明かしている。
そのマシンは、スロットルのリニアリティ向上と並列4気筒の特徴を行かした車体レイアウト変更による操縦安定性がテーマとなった。エンジンは不等間隔爆発となり、ICS(アイドル・コントロール・システム)の熟成によりエンジンブレーキ特性がより自然なものとなった。また、燃焼室はフューエルインジェクション機能を最大限に引き出す4バルブとなった。もちろん各種電子制御面でも進化し、ライダーをサポートしている。
このYZR-M1を駆り、ロッシは16戦中9勝してチャンピオンを獲得。Honda NSR500時代からRC211Vを経てYZR-M1と4連覇を達成。そして翌2005年には全17戦中11勝して5連覇を遂げた。

2004年 Kawasaki ZX-RR

2003年からMotoGP™に本格参戦を開始したが、なかなか成果を見られずにいた。そして2004年、元GPライダーのハラルド・エッケルをチーム監督に招き、ライダーには中野真矢を迎え、この効果によりZX-RRは飛躍的にポテンシャルを上げていく。車体は一新され、よりコンパクト化されると同時に流線型へと変更を受けた。もともとパワーやストレートの速さには定評のマシンで、課題はエンジンブレーキとコーナー立ち上がりでのトラクションの向上とされていたが、シーズン途中からマレリ社製エンジン制御および燃料噴射システムを採用している。また、サイレンサーのない右出しスラッシュカットショートメガホンタイプのマフラーもレーシーで特徴的だった。なお、この年からブリヂストンタイヤを装着している。
ツインリンクもてぎでの日本GPで中野がZX-RR最高位となる3位を獲得。さらにマレーシアGPの予選で中野は、ZX-RR最高位ポジションとなる3番グリッドを得ている。

2005年 SUZUKI GSV-RR

2004年のシーズン途中から不等間隔爆発のエンジンを採用。この年の第7戦リオGPでケニー・ロバーツがGSV-RR初のポールポジションを獲得した。そして2005年GSV-RRは不等間隔爆発のエンジンを中心とした車体設計とパワーアップが進められ、第5戦イタリアGPではエンジン、エキゾースト、エアボックスの変更を受けた。さらに第8戦アメリカGPではカムシャフトにニューパーツを導入するなど、シーズン中に大きく進化していった。そしてウエットコンディションとなった第9戦イギリスGPで、ロバーツが見事に2位を獲得。GSV-RRにとって初めての表彰台となった。また、第12戦日本GPでは、もうひとりのGSV-RRユーザーのジョン・ホプキンスが予選2番手を獲得。日本GPでは2年連続でフロントローに並ぶことになった。さらに決勝レースでホプキンスは5位入賞しており、いよいよそのポテンシャルが高まったことを証明した。

2005年 Ducati Desmosedici GP5

2002年のイタリアGPで発表されたDucatiのMotoGP™マシンは、2003年の開幕戦・鈴鹿サーキットでの日本GPでデビュー。ライダーはロリス・カピロッシとトロイ・ベイリスの2人で、カピロッシが第6戦カタルニアGPで優勝を遂げた。ランキングではカピロッシが4位、ベイリスが6位と好発進だ。エンジンはL型4気筒16バルブで、2004年にはツインパルスとDucatiが命名する不等間隔爆発エンジンを採用している。YAMAHAと同様に強烈なパワーを、このツインパルスによって扱いやすくすることが狙いだった。これが功を奏して、2004年の低迷から脱却。ロリス・カピロッシは第12戦日本GPでポールtoウインを達成すると、続くマレーシアGPでも優勝を遂げるなどでランキング6位。カルロス・チェカもシーズン後半ではコンスタントに二桁ポイントを獲得してランキング9位となった。また、この2005年からブリヂストンタイヤを装着。カピロッシとチェカには別タイプのフレームが用意されていたが、その理由のひとつが、タイヤとのマッチングデータを蓄積させるためとも言われている。

2006年Honda RC211V

排気量990ccでの最終年となった2006年。一般的に移行期には大きな変更が行われないものだが、HondaはRC211Vをフルモデルチェンジさせてきた。エンジンはV型5気筒に変更はないが、前後長を短縮し、フレーム、スイングアームもデザインを一新、これに伴いカウルやシートカウルなどの外装パーツも変更された。これで従来モデルよりもコンパクト化されていたが、このマシンはエースのニッキー・ヘイデンのみに託されたスペシャルモデルだった。こうしたHondaの意気込みの裏には、2005年シーズンの苦い戦いがあった。ランキングでは、マルコ・メランドリーが2位、ニッキー・ヘイデンが3位となったが、チャンピオンを獲得したYAMAHAのバレンティーノ・ロッシの前に、Hondaはシーズン4勝しかできなかったのだ。そしてこの2006年、チャンピオン争いはヘイデンとロッシによる最終戦決戦となり、ヘイデンが8ポイント差を大逆転して新チャンピオンに輝いた。また、この年にダニ・ペドロサがチームに加入、第4戦中国GPと第9戦イギリスGPで優勝を遂げるなどランキング5位となり、次期エースとしての存在感を漂わせる活躍を演じている。

2007年 SUZUKI GSV-R

排気量が800ccとなった2007年、SUZUKIはニューマチック・バルブ・システムを導入した。これは通常の金属製スプリングの替わりに圧搾空気で吸排気バルブを駆動せさるもの。金属製のバネでは、高回転域に合わせてバネを硬くし過ぎると、中低回転域では抵抗になることがあるが、このシステムでは圧力を可変させることで抵抗を減らすことにより、エンジンのレスポンスがスムースになり、さらに金属製スプリングでは限界と言われる1万8000回転以上に対応することができた。
これでGSV-RRのトップスピードは上がり、同時に本来のコーナリング性能の高さと相まってトータルパフォーマンスが向上。まさにSUZUKI渾身の1台となったのだ。 このマシンを駆ったのはジョン・ホプキンスとクリス・バーミューレンの2人。開幕戦カタールGPでホプキンスは惜しくも4位となったが、第2戦スペインGPで3位表彰台に立った。また、雨となった第5戦フランスGPでは、バーミューレンが優勝。SUZUKIにMotoGP™初勝利をもたらした。
タイヤはブリヂストンで、シーズン前半は両ライダーで違う仕様のスイングアームが用意されていたが、中盤以降では同じ仕様のものとなった。なお、ホプキンスは年間ランキング4位、バーミューレンは同6位となった。

2007年 Kawasaki Ninja ZX-RR

2006年にフルモデルチェンジが行われ、エンジンが大幅変更された。従来モデルでは、スーパーバイク用エンジンをベースにしていたが、ここでMotoGP™専用設計となり、前後長の見直しや不等間隔爆発などがテストされている。そして800ccとなった2007年モデルにはニューマチック・バルブ・システムを採用し、合わせてエンジン内部のパーツ類は全面的に見直されている。しかし、実走行テストが遅れてしまったために、2007年シーズン序盤は苦しいレースを強いらてしまう。だが、シーズン中にもエンジンやフレームのバージョンアップ版が投入されると徐々に戦闘力が向上。第7戦カタルニアGPでエースライダーのランディ・ドゥ・プニエが自己最高5位となると、サマーブレイク明けの第12戦チェコGPで6位、第15戦日本GPでは2位に入り、ライバルとの差を縮めていることを証明して見せた。
なお、シーズン中盤までのマシンはメタリックグリーンのカラーリングで、第12戦チェコから伝統のライムグリーンへと戻っている。タイヤはブリヂストンを装着。

2007年 Ducati Desmosedici GP7

2006年、HondaのサテライトチームLCR HondaでMotoGP™にデビューしたケーシー・ストーナー。第2戦トルコGPで早くも2位に入り存在をアピールするが、速さを示す反 面で転倒も多く、年間ランキングは8位に終わる。そして2007年、ストーナーはDucatiファクトリーに移籍し、GP7を駆ることになった。すると開幕戦カタールGPではバレンティーノ・ロッシを下して初優勝を達成。一気に時の人となったが、勢いは衰えることなく、第15戦日本GPで6位フィニッシュすると、チャンピオンを獲得した。この年のストーナーの最低順位が日本GPでの6位だったことから、シーズンを通してどれだけ安定して速かったが分かる。
マシンの基本路線はGP6と変わらないが、細部での違いは鮮明だった。Ducatiのマシン開発は明確で、まずは優位な部分を徹底的に伸ばし、次にウィークポイントに対処していくというもの。このGP7も、まずはエンジンのパワーアップに着手し、次にブレーキ性能を高めていったと言われるが、ストレートの速さでは、ライバルに対して確実に優位に立っていた。

2010年 YAMAHA YZR-M1

2009年からタイヤはブリヂストンのワンメイクとなり、2010年からはシーズンを通して各ライダーが使用できるエンジンは最大6基となった。言い換えれば、耐久性の高いエンジンが必要になるということだ。これに対してYAMAHAは、最高速と冷却性能を高めるために、アッパーカウルとサイドカウルの形状を変更。サイドカウルにあるダクト形状の変更により水温で2度、エンジンオイルで8度の冷却性能向上となった。この他にもさまざまな技術を投入することにより、エンジン1基あたり2,000km以上の走行が可能となる高い信頼性を備えることになった。
このマシンを駆り、ホルヘ・ロレンソがシーズン9勝を挙げて初のチャンピオンを獲得。一方のバレンティーノ・ロッシは、開幕戦カタールGPで優勝して好発進するが、第4戦イタリアGP土曜日朝の走行で大クラッシュ。ライダー生命の危機とまで伝えられた大怪我だったが、欠場したはわずか4レースのみで、第8戦ドイツGPで復帰を果たすと、なんと年間ランキング3位を獲得したのだ。そしてYAMAHAは3年連続でライダー、コンストラクター、チームの三冠を獲得した。

2011年 Honda RC212V

2011年は、電撃的な移籍でシーズンの幕を明けた。Ducatiのエース、ケーシー・ストーナーがRepsol Honda Teamに移籍し、YAMAHAのエース、バレンティーノ・ロッシがDucati Teamに移ったのだ。だが、この両雄の明暗ははっきりと分かれてしまう。開幕戦カタールGPで優勝したストーナーに対して、ロッシは7位デビュー。そしてその後もロッシは精彩を欠き、シーズンが終わってみれば、まさかの年間ランキング7位。対するストーナーは、年間10勝を挙げてチャンピオンに輝いたのだ。
990ccのRC211Vの後継車として2007年にデビューした800ccのRC212V。排気量と気筒数による最低重量の変更により、V型5気筒からV型4気筒となった。そして2010年のRepsol Honda Teamは2台ともにサスペンションがオーリンズ製のものとなった。2011年のRC212Vは、重心位置の最適化により、コーナリング特性が高められたが、Hondaは6台のRC212Vを投入。そしてRepsol Honda Teamのダニ・ペドロサ、アンドレア・ドヴィツィオーゾ、ケーシー・ストーナーの3人、San Carlo Honda Gresiniのマルコ・シモンチェリがファクトリー仕様だった。また、この年にHondaはライダー、コンストラクター、チームの三冠を獲得した

2016年 Honda RC213V

2012年、排気量が1,000ccに変更を受けて登場したのがRC213Vだ。2011年のチャンピオンマシンRC212Vを踏襲したモデルとなったが、クラッチを使わず、かつシフトチェンジの少ないシームレスミッションシステムは、このRC213Vからサテライトチームを含めた全車に装着された。そして2016年仕様のRC213Vは、経年ごとの熟成によりトータルパフォーマンスが高められている。サスペンションはオーリンズ、ブレーキシステムは前後キャリパーとフロントのカーボンディスクはブレンボ、リアブレーキディスクはユタカで、レインレースの場合はフロントディスクがユタカのスチールに変更される。また、トレンドとなったフロントウイングだが、シーズン中盤までに取り付け位置、形状、枚数が変わるなど試行錯誤が続いたことが見て取れるものだった。なお、この年からタイヤはミシュランのワンメイクとなり、前後17インチに統一された。
このRC213Vを駆り、マルク・マルケスがチャンピオンを獲得。しかしマルケスらしいハードプッシュするシーンは影を潜めた感があったが、転倒やノーポイントレースを作らないという、チャンピオン獲得を目指した確実な戦法でもあった。

2016年 YAMAHA YZR-M1

V型エンジンが多勢のなかにあって、4ストロークMotoGP™マシンのデビュー以来、一貫して並列4気筒エンジンを継承するYAMAHA。V型エンジンと比較して前後長を短くできることから、トラクションに有利なロングスイングアームを使用できるというメリットがある。また、リアショックのアッパー側マウントがフレームではなくエンジン後部と接合されているのが特徴。この構造は2005年モデルから踏襲されているが、これにより、バンク角の深い領域でもフレーム剛性が適正に保たれ、コーナリングスピードの高さにつながっている。また、シームレスミッションシステムは2013年のシーズン後半に採用され、2014年に大きな武器となったことは、バレンティーノ・ロッシが年間ランキング2位、ホルヘ・ロレンソが同3位となったことからも証明される。
2015年にライダー、コンストラクター、チームの三冠を獲得したYAMAHA。2016年モデルは熟成進化となっているが、2015年後半から採用したフロントウイングを開幕戦から採用。そのウイングは大型化され、翼端が垂れ下がる形状となっていた。そして2016年、チャンピオン争いではロッシとロレンソがマルク・マルケスを追う展開となったが、着実にポイントを積み重ねていくマルケスに及ばず、ロッシが年間ランキング2位、ロレンソが同3位となった。

2016年 SUZUKI GSX-RR

2014年の最終戦バレンシアGPにスポット参戦し、4年ぶりにMotoGP™シーンに戻ってきたSUZUKI。そして2015年から5年ぶりにフル参戦を開始したが、そのエンジンは、GSV-RでのV型4気筒から、並列4気筒へと大変更を受けた。また、フレームは以前のアルミツインスパータイプだが、その形状は大きく変更されていた。そしてシーズン前半でビハインドのあったライバルとのトップスピードも、第7戦カタルニアGPでの新型エンジンにより解消へと向かった。2016年モデルはシームレスミッションシステムを採用。さらにフロントウイングを装着したが、大きさ、枚数、形状など試行錯誤が繰り返された。
このGSX-RRを駆り、マーベリック・ビニャーレスが第5戦フランスGPで3位に入り、復帰後初の表彰台を獲得。そして第7戦カタルニアGPでファステストラップとニューレコードを樹立すると、第12戦イギリスGPで初優勝。SUZUKIにとって2007年以来のMotoGP™優勝となった。

2016年 Ducati Desmosedici GP/Desmo16GP

2015年11月、Ducatiからビッグニュースが発表された。それは、2007年にDucatiを駆りMotoGP™チャンピオンとなったケーシー・ストーナーが、Ducatiチームのテストライダーに就任したことだ。Ducatiは、その代名詞とも言えるトレリスフレームでMotoGP™マシンをスタートさせ、GP9からカーボンモノコックフレームを採用。そしてGP12からHondaやYAMAHAと同じアルミツインスパーフレームと同様なものとなった。言い換えれば、伝統から脱却して勝つための一大転換期となったわけだが、そのGP11とGP12を駆るバレンティーノ・ロッシの成績が示す通り、順調に事は進まなかった。また、GP12からはエンジン全体を後転させたことでV型とも呼ばれるようになる。
混迷期が続いたDucatiだが、レギュレーションの変更などを機に上昇傾向へと移行する。そしてトップスピードを生かした開発が進み、2014年にらアンドレア・ドヴィツィオーゾが年間ランキング5位。さらに2015年は、ドヴィツィオーゾが開幕から3戦連続で2位となり、アンドレア・イアンノーネも第6戦イタリアGPで2位に入るなど躍進。また、この2015年からフロントウイングを装着して注目を集めたが、GP16ではさらにウイングは進化し、複雑な形状となった。そして第10戦オーストリアGPでイアンノーネが優勝、ドヴィツィオーゾが2位となり、Ducatiは1-2フィニッシュを遂げた。

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