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MotoGP™エントリー紹介:中上貴晶

ついにたどり着いた世界最高峰クラスへの挑戦権。中上貴晶「MotoGP™ライダーの一人として努力を惜しまない」

MotoGP™エントリー紹介:中上貴晶

4歳の誕生日に両親からポケバイをプレゼントされたことで始まった中上貴晶のレース人生。その10年後、14歳で全日本GP125で史上最年少チャンピオンを獲得し、若手ライダー育成のMotoGP™アカデミーの生徒となりマルク・マルケス、ポル・エスパルガロらと共にスペイン選手権でウデを磨く。そして2007年の世界グランプリ最終戦バレンシアにスポット参戦したのを契機に、2008年からは世界グランプリ125ccクラスのレギュラーライダーの座を掴んだ。

そこまではまさに前途洋々だった。だが、期待されたものの結果が伴わない。中上のグランプリ挑戦はわずか2年で終了する。

「言葉の壁が最大のネックでした。チームとのコミュニケーションが取れないのだからマシンが良くなるわけがない。グランプリでのシートを失ったのは本当に悔しくて、辛かったです」(中上)

2010年、中上は全日本に復帰してST600クラスに参戦し、2011年はJ-GP2クラスへとスイッチする。そしてこの年の日本グランプリのMoto2™クラスに、中上はイタルトランス・レーシング・チームから代役ライダーとして出場。もちろん中上は、このレースをきっかけにグランプリ復帰への青写真を描いた。

「グランプリから全日本に戻り、そこからグランプリに復帰したライダーは前例がなかったので、この一点を目指して頑張ってきました。でも、日本グランプリの決勝レース前の走行で転倒して医務室に運ばれ、結果は右肩胛骨骨折で、すべてが終わったとうなだれていたんです。そうしたら医務室にチーム監督がやってきて、ウインターテストに参加しないかと誘われたんです。何が起きているのか分からないまま医務室で参加のサインしたのを覚えています」(中上)

2011年のJ-GP2クラスでチャンピオンを獲り、2012年はMoto2™クラスでグランプリ復帰を果たした。そして2013年の第9戦インディアナポリスからチェコ、イギリス、サンマリノで連続2位となり、優勝こそできなかったもののレースで上位を走ることができるようになった。

だが2014年、新結成のIDEMITSU Honda Team ASIAにチーム移籍してチャンピオン獲りに臨むが、「一生懸命に走っても、まったく結果がついてこなくて、本当に厳しいシーズンだった」と中上自身が振り返るように表彰台に立つことすらできず、それは2015年も同様だった。

そして苦悩する中上の救い主となったのが、2016年からチームに加わったチーフメカニックのファウスト・ベンチベンニだった。「とても相性が良かった」と中上は語るが、常に中上のライディングスタイルを考え、中上の立場でマシンのセットアップを進めてくれた。こうして迎えた2016年のオランダグランプリ。中上がポケバイに乗ってから20年目にグランプリ初優勝を挙げ、2017年にも優勝し、今年から世界最高峰MotoGP™クラスに参戦することになった。

「子どもの頃から夢見ていたクラスなので、ワクワクしています。でも、まだスタートラインに着いただけで、ここからが本当の勝負。MotoGP™クラスは天才ライダーの集まりで、そしてそうしたライダーが極限まで努力している。このクラスで結果を残すのは並大抵ではないけれど、これまでお世話になった人たちに恩返しするためにも、僕もMotoGP™ライダーの一人として努力を惜しみません」(中上)

中上にとってのMotoGP™クラスは、新たな挑戦の場ではない。レーシングライダーの本質を問う戦いの場なのである。

※内容は予告なく変更となる場合がございます。
※使用している写真・イラストはイメージです。

 

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