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ホンダコレクションホール開館20周年記念展示 〜所蔵展〜
展示車両紹介

1983年 elf-e

1983年 elf-e

印象に残るレーシングマシンにelf-eを挙げるファンも多いだろう。1978年から1988年まで続いたフランスのオイルメーカーelfのバックアップによるマシン開発のなかで誕生した1台だが、そのマシンが1983年の鈴鹿8耐を走ったのだから、このマシン見たさに鈴鹿サーキットに出向いたファンも少なくないはずだ。
片持ち式の前後サスペンション、フレームレス構造とこれだけでも斬新なのだが、燃料タンクは車体底部に置かれており、通常の位置にあるのはダミータンクだ。エンジンはHondaの空冷4気筒DOHC4バルブ1000ccのRS1000を使用。マシン全体の形状やデュアルヘッドライトも独創的だった。なお、このときのリアサスペンションシステムは、後に登場するHondaのプロアームの原型とされている。
このマシンを駆ったのはクリスチャン・ルリアール(写真)とデビッド・アルダナ。予選では9番手となったが、決勝は残念ながらトラブルで32周で姿を消した。
elf-eの最後のeはENDURANCE=耐久の頭文字とされ、一連のelfプロジェクトではスプリント仕様の開発も行われた。

1984年 NS500 F・スペンサー

1984年 NS500 F・スペンサー

4ストローク500ccエンジン搭載のNR500から、2ストローク3気筒500ccエンジンを搭載したのが1982年のアルゼンチンでデビューしたNS500だ。そしてこのマシンを駆り、フレディ・スペンサーが1983年に世界グランプリ500ccクラスでチャンピオンを獲得している。
YAMAHAのケニー・ロバーツとHondaのスペンサーのシーズンを通しての白熱したチャンピオン争いは現在でもファンの間で熱く語られるほどだ。そしてその戦いは、最終戦サンマリノでロバーツが優勝するが、スペンサーが2位となったことから僅か2ポイント差でチャンピオンはスペンサーのものとなった。
デビュー僅か2年目でチャンピオンマシンとなったNS500。だが、Honda内部ではライバルの4気筒マシンがパワーを上げているのに対抗するため、1983年春から次期戦闘マシンとなる4気筒NSR500の開発をスタートさせていたと言われている。
その初代NSR500は燃料タンクと排気チャンバーを上下逆にした斬新なレイアウト。だが、開幕戦からこのマシンを駆り芳しい成績を収められずにいたスペンサーは、第5戦ドイツでNS500に乗り換えてポール・トゥ・ウィンを達成。その後にスペンサーは、コースによってNSR500とNS500を使い分けることになった。

1992年 RVF750 W・ガードナー/D・ビーティー

1992年 RVF750 W・ガードナー/D・ビーティー

伝説の名車、それがRVF750だ。RS750の後継としてRVF750がレースシーンに登場したのが1985年のこと。ベース車両はVFR750だが、このRVF750はワークスチューンが施された特別仕様車だった。そしてこの年の鈴鹿8耐ではYAMAHAのケニー・ロバーツと平忠彦ペアが注目を集めたが、ワイン・ガードナーと徳野政樹がRVF750を駆り予選2番手、決勝では優勝を遂げた。
その後も数々の栄光の記録を残すが、このレース仕様車をベースにした市販モデルが1987年に登場したVFR750/RC30だ。これはスーパーバイク世界選手権にも出場可能なベースマシンとなったが、1988年のRVF750はこのVFR750/RC30のワークス仕様だ。
1992年の鈴鹿8耐。これまで通算3勝を収めているガードナーは鈴鹿8耐からの引退を宣言して戦いに挑み、見事に4勝目を記録。当時これは最多勝記録であり、ミスター8耐の実力をまざまざと見せつけるものとなった。
ガードナーが鈴鹿8耐で駆ったマシンはいずれもRVF750で、優勝時のパートナーは徳野(1985年)、ドミニク・サロン(1986年)、ミック・ドゥーハン(1991年)、ダリル・ビーティ(1992年)の4人。

1999年 RVF/RC45 岡田忠之/アレックス・バロス

1999年 RVF/RC45 岡田忠之/アレックス・バロス

1994年、RVF750の後継機種として登場したRVF/RC45。この頃からレースカテゴリーはTT-F1からスーパーバイクへと移行し、レギュレーション上で改造範囲が狭まれたことから、ベースマシンの性能向上が求められたという時代背景がある。そしてこのRVF/RC45もエンジンはもちろんフレームも新開発されていた。
また、通常であれば市販車を造り、そのマシンをレース仕様へと進化させるのだが、このRVF/RC45に関してはレース仕様車ありきで開発され、市販車はレース仕様のモディファイ版とも言われている。それだけにそのパフォーマンスは圧巻で、その後のVツイン1000ccのVTR1000に主役の座を譲るまでの6年間、鈴鹿8耐で5勝を記録。RVF/RC45での最終年となる1999年の鈴鹿8耐では、岡田忠之(写真)とアレックス・バロスで優勝を遂げている。なお、鈴鹿8耐でHondaは10連覇の金字塔を打ち立てているが、その1勝目が1997年の伊藤真一と宇川徹だったが、このときのマシンもRVF/RC45だ。

1999年 NSR500 A・クリビーレ

1999年 NSR500 A・クリビーレ

4ストローク500ccエンジンのNR500から2ストローク3気筒のNS500を経て2ストロークV型4気筒のNSR500が登場したのは1984年のこと。初代は燃料タンクをエンジン下に配置し、排気チャンバーをエンジン上部にした特異なレイアウトだった。そして1985年には通常のレイアウトに戻しての戦いとなり、全12戦でフレディ・スペンサーが7勝、ランディ・マモラが1勝を挙げて、ライダーズタイトルとメーカータイトルを獲得した。
そして1994年から1998年までNSR500はミック・ドゥーハンのライディングで6連覇を達成。特筆すべきは1997年シーズンで、全15戦でドゥーハンが12勝、アレックス・クリビーレが2勝、岡田忠之が1勝し、NSR500は全勝マシンとなった。
しかし、1999年にドゥーハンが負傷。代わってエースの座に就いたクリビーレ(写真)がチャンピオンとなり、NSR500は6連覇マシンとなったのである。

1999年 NSR250 宇川徹

1999年 NSR250 宇川徹

世界へと戦いの場を移した岡田忠之の後を受けて全日本GP250にHRCから参戦したのが宇川徹だ。そして1993年と1994年に全日本チャンピオンを獲得すると、1996年から世界グランプリ250ccクラスに参戦。当時はメインスポンサーのベネトンカラーのNSR250だったが、1999年からシェルアドバンスHondaからの参戦となりカラーリングが一新(写真)。そしてこの年、宇川は開幕からの3戦で連続2位となり、第4戦フランス・ポールリカールで初優勝。さらに第12戦バレンシアで2勝目を挙げるなど全16戦で11回表彰台に立つ。だが、apriliaのバレンティーノ・ロッシに及ばずにランキング2位となり、この成績が宇川のグランプリでの自己最上位となった。
マシンのNSR250は、打倒アプリリアを目指して1998年にビッグチェンジを受けた。そして1999年モデルはその熟成版だったが、apriliaを追い詰める高いパフォーマンスを発揮した。

2001年 NSR250 加藤大治郎

2001年 NSR250 加藤大治郎

九州の名門、チーム武出身で、1997年にカストロールHondaで全日本GP250のチャンピオンを獲得。そして2000年から世界グランプリ250ccクラスにフル参戦を開始。チームは元ライダーのファウスト・グレシーニが率いるAXO HondaグレシーニでマシンはNSR250、この2000年、通算4勝を挙げるとともにランキング3位を獲得し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝く。
2001年、テレフォニカ・モビスターHondaでの参戦(写真)となり、250ccクラスの年間最多勝記録に並ぶ11勝を挙げてチャンピオンを獲得する。なお、このときのランキング2位はapriliaの原田哲也で、その原田は1993年の世界グランプリ250ccクラスで初参戦にしてチャンピオンに輝き天才と呼ばれたが、その原田が現在でも最高のライダーに加藤大治郎の名前を挙げている。
なお、加藤大治郎はMotoGP™殿堂入りし、ゼッケンの74は永久欠番になっている。

2002年 RC211V V・ロッシ

2002年 RC211V V・ロッシ

2002年、最高峰クラスのマシンレギュレーションが大幅変更され、車両重量などを鑑みてもっとも有利とされた4ストロークV型5気筒を採用したHondaのワークスマシンがRC211Vだ。
V型エンジンの前が3気筒、後ろが2気筒で、Vバンク角を75.5度にすることで一次振動を打ち消している。
このマシンを駆り、バレンティーノ・ロッシ(写真)が全16戦中11勝してチャンピオンを獲得。さらに宇川徹が1勝してランキング3位、アレックス・バロスが2勝してランキング4位を獲得。RC211Vとしては全16戦中14勝という快挙を成し遂げたことになるが、MotoGP™となった新時代の初年度にHondaはライダータイトル、メーカータイトル、チーム(Repsol Honda Team)タイトルの3冠を獲得した。

2002年 aprilia125 A・ヴァンサン

2002年 aprilia125 A・ヴァンサン

2002年の世界グランプリ125ccクラスチャンピオン、それがアルヌー・ヴァンサンだ。
この年、世界グランプリは春の鈴鹿サーキット、秋のツインリンクもてぎと日本では2開催だった。そして開幕戦の鈴鹿で優勝したのがヴァンサンで、2位がHondaマシンを駆るミルコ・ジャンサンティ、3位がGileraを駆るマニュエル・ポッジアーリ、そして4位にHondaマシンの上田昇がつけた。
その後ヴァンサンは、ジャンサンティ、Hondaマシンのダニ・ペドロサと一進一退のチャンピオン争いを展開。唯一、全レースでポイントを獲得したヴァンサンがチャンピオンとなったが、ツインリンクもてぎでのゴロワーズグランプリでは、上位走行中のラスト3周でマシントラブルが発生して失速。かろうじて1ポイント獲得となったが、これがこのシーズンのヴァンサンのワーストレースだった。

2003年 CBR900RR 山口辰也/高橋裕紀

2003年 CBR900RR 山口辰也/高橋裕紀

正義のヒーロー仮面ライダーが鈴鹿8耐に登場。その名も仮面ライダー555(ファイズ)Hondaで、ライダーはHondaのワークスライダーを務めた経験を持つ山口辰也と、世界挑戦する前の高橋裕紀(写真)。マシンはHonda CBR954RR耐久仕様で、チーム監督は宮城光が務めた。
山口、高橋ともライダースーツとヘルメットのデザインは仮面ライダー555を模倣。チーム自体は勝つことを目的にするワークスチームとは一線を画し、夢にむかってチャレンジすることの素晴らしさを、モータースポーツを通して子供からその親世代の幅広い層に伝えることが主眼だった。
スターティンググリッドは、Hondaワークスの宇川徹と井筒仁康のセブンスターHonda7に次ぐ5番手。レースでは、1時間目の54位から、怒濤の追い上げで10位でゴールしており、諦めずにチャレンジすることの大切さを実践した形となった。

2003年 VTR1000SPW 生見友希雄/鎌田学

2003年 VTR1000SPW 生見友希雄/鎌田学

鈴鹿8耐では、優勝候補の転倒や、チェッカーまで残り僅かなところでのマシントラブルなど、悲運がメインストーリーになることが多いが、2003年の鈴鹿8耐ではうれしいミラクルが物語の中心だった。
Hondaはニッキー・ヘイデンと清成龍一、宇川徹と井筒仁康のワークスチーム2台体制を敷く。F.C.C. TSRの主力は辻村猛と伊藤真一、ヨシムラスズキは渡辺篤と加賀山就臣、KENZは北川圭一と藤原克昭、YAMAHA勢では中冨伸一と吉川和多留と錚々たるメンバーだ。そしてレースは2時間目にトップに立ったKENZがリードするが、最後のピットワークでマシントラブルが発生して首位陥落。替わってトップに立ったのが生見友希雄と鎌田学(写真)のチーム桜井Honda 71だった。
マシンはVTR1000SPWでHondaの手が加わっていることは間違いないが、8時間をノントラブルで粛々と走りきった町のバイク屋さん桜井ホンダが、これ以上にない栄誉を手にしたのである。

2004年 RC211V S・ジベルノー

2004年 RC211V S・ジベルノー

1999年からHonda NSR500を駆り、この年にランキング5位を獲得。2003年からRCV211Vに乗り換えると、シリーズ第2戦南アフリカでバレンティーノ・ロッシを0.363秒差で下して優勝。さらに第4戦フランス、第7戦オランダ、第9戦ドイツで優勝すると、4勝を含む通算10度の表彰台に立ちランキング2位となった。この年、チャンピオンとなったバレンティーノ・ロッシにはシリーズポイントで水をあけられた形となったが、チャンピオンへの可能性を示したシーズンでもあった。
2004年、シリーズ第2戦スペイン、第3戦フランスで連勝。さらに第10戦チェコ、第13戦カタールで優勝するなど通算10回の表彰台に立つ。この年のチャンピオンのロッシには47ポイントの大差だったが、これはロッシの9勝に対してジベルノーは4勝で、優勝回数の差がシリーズポイントになって表れた形だ。なお、2005年のランキング7位を経て、2006年からはDucatiに移籍。そして引退後はダニ・ペドロサのコーチを務めている。

2005年 RC211V M・メランドリ

2005年 RC211V M・メランドリ

2002年の世界グランプリ250ccクラスでチャンピオンを獲得すると、2003年からMotoGP™クラスに転向。当時はYAMAHAマシンを駆るが、その2003年は第11戦ポルトガルでの7位が最上位。しかし2004年は第5戦カタルニアと第6戦オランダで3位の表彰台に立ち可能性を示すと、ランキング12位となった。
2005年からモビスターHonda MotoGPに移籍してRC211Vを走らせると、第16戦トルコと第17戦ヴァレンシアで優勝するなど通算7度の表彰台に立ち、ランキングでも2位にジャンプアップした。また、2006年はチャンピオン争いに絡みながらもランキングは4位、2007年はチャンピオン争いに加わることができずにランキング5位。そして2008年からはDucatiワークスに移籍する。
その後、Kawasakiでの活動を経てスーパーバイク世界選手権に出場し、さらに世界グランプリ復帰を果たすが、芳しい成績を収めるには至らなかった。

2005年 RS125R T・ルティ

2005年 RS125R T・ルティ

現在はMotoGP™クラスに参戦するトーマス・ルティ。世界グランプリへのフル参戦は2003年からで、2005年にHonda RS125Rを駆り、第4戦フランスで初優勝を達成。さらに第10戦チェコ、第12戦マレーシア、第15戦オーストラリアで優勝。16戦中4勝、2位3回、3位1回と通算8回表彰台に立つ活躍を見せるとチャンピオンを獲得した。
その後、2007年から250ccクラスに参戦。マシンはapriliaで最高ランキングは2009年の7位。そして2010年は新設のMoto2™クラスにMORIWAKIマシンを駆り出場。2011年はSuterにスイッチし、2015年からはKalexにチェンジ。2016年と2017年にはランキング2位となり、2018年からEG 0,0 Marc VDSでMotoGP™クラスに進出を果たした。

2005年 CBR1000RR 伊藤真一

2005年 CBR1000RR 伊藤真一

2004年に登場したCBR1000RRの開発には、MotoGP™マシンRC211Vを手がけたスタッフが加わり、前年までの954ccモデルとは比較にならない高いパフォーマンスを発揮。センターアップマフラーも際立っていた。
この2004年型CBR1000RRを駆り、チーム桜井ホンダの井筒仁康が全日本JSB1000でチャンピオンを獲得。さらに鈴鹿8耐ではこのマシンにワークスチューンが施されたCBR1000RRWを駆った宇川徹と井筒仁康が優勝している。
デビュー2年目を迎えて熟成が進んだCBR1000RRを駆り、全日本JSB1000では伊藤真一(写真)が全8戦中4勝を挙げてチャンピオンを獲得。鈴鹿8耐ではCBR1000RRWを駆る清成龍一と宇川徹のセブンスターHonda7が優勝、同じくクリス・バーミューレンと藤原克昭のセブンスターHonda11が2位となり、さらに3位から6位までをCBR1000RRが占めた。
なお、伊藤は2006年もJSB1000でのタイトル防衛に成功している。

2005年 RC211V N・ヘイデン

2005年 RC211V N・ヘイデン

2002年に全米選手権AMAスーパーバイクのチャンピオンを獲得し、2003年にHondaワークスのRepsol Honda TeamからMotoGP™クラスに参戦。まさにシンデレラボーイであり、Hondaの寵児でもあった。
初表彰台は同年シリーズ第13戦ツインリンクもてぎでの3位。第15戦オーストラリアでも3位の表彰台に立っている。
初優勝は、2005年の第8戦の母国ラウンドとなるアメリカ。YAMAHAのコーリン・エドワーズを1.9秒引き離しての快挙だった。
翌2006年、ヘイデンはいよいよチャンピオンにまで上り詰める。
開幕戦から4戦連続で表彰台に立ち、第6戦イタリアで3位、第7戦カタルニアで2位。そして第8戦オランダで初優勝を遂げるが、この勝利はHondaにとって最高峰クラスでの記念すべき200勝目だった。
その後、第10戦ドイツで3位に入ると、第11戦アメリカでは前年に続いて優勝。そして最終戦のヴァレンシアでは3位でチェッカーを受けてチャンピオンを決めた。
この年のヘイデンはノーポイントが1レース、一桁ポイントが2レースのみという抜群の安定性を示し、これがチャンピオン獲得につながったと言える。

2006年 CBR1000RR 伊藤真一&辻村猛

2006年 CBR1000RR 伊藤真一&辻村猛

鈴鹿8耐でのHondaの10連覇を決めたのは、HondaのワークスチームではなくトッププライベーターのF.C.C. TSR ZIP-FM Racing Teamで、ライダーは辻村猛と伊藤真一。マシンはHonda CBR1000RRながらJSB1000仕様ではなく改造範囲が広いXXフォーミュラのディビジョン1仕様だ。
そしてこの年の鈴鹿8耐は、意外な形で決着した。オープニングラップのヘアピンでYAMAHA BLUE RACINGのコーリン・エドワーズが他車との接触で転倒。さらにトップに立っていたセブンスターHonda7の清成龍一が16周目に予定外のピットイン。これでトップに立った伊藤真一は、パートナーの辻村とともに安定した走りで8時間を走りきり、F.C.C. TSRは鈴鹿8耐での初優勝を遂げたのである。

2006年 RC211V D・ペドロサ

2006年 RC211V D・ペドロサ

今シーズン限りでの引退を表明したダニ・ペドロサ。2003年に世界グランプリ125ccクラスでチャンピオンを獲得し、2004年には同250ccクラスに転向。すると初年度にしてチャンピオンに輝き、2005年にはそのタイトル防衛に成功。そして2006年にRepsol Honda Teamに移籍するとRC211VでMotoGP™クラスに打って出た。
この2006年の開幕戦スペインでは、優勝争いを演じると2位でチェッカー。そして第4戦中国でクラス初優勝を遂げる。ペドロサの小柄な体格からMotoGP™クラスを戦うのは難しいのではという周囲の声を打ち消す活躍だった。
その後、第9戦イギリスで2勝目を記録。第11戦アメリカで2位、第12戦チェコと第13戦マレーシアで3位となるが、第14戦以降ではマシンのセットアップに手こずり、第16戦ポルトガルではチームのエースでありチャンピオン争いを展開するニッキー・ヘイデンを巻き込む転倒を喫してしまう。この年、ヘイデンはチャンピオンを獲得したことで事なきを得たが、ペドロサは最終戦ヴァレンシアで4位入賞してランキング5位を獲得。ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得している。

2006年 RS250RW 高橋裕紀

2006年 RS250RW 高橋裕紀

2004年に全日本GP250でチャンピオンを獲得し、Hondaレーシングスカラシップの二期生として2005年から世界グランプリの250ccクラスに参戦を開始。所属はTeam Scotで、マシンは市販レーサーをベースにワークスチューンが施された RS250RWだ。
この2005年は、第12戦のツインリンクもてぎでの4位が最高位で、ランキングは11位。そしてスカラシップ最終年の2006年は、第5戦フランスで初優勝を遂げると第10戦ドイツでも優勝。だが、その後の鈴鹿8耐参戦に向けたテストで転倒して左腕を骨折。さらに最終戦ヴァレンシアのフリー走行では大腿を骨折する転倒を喫してしまった。ランキングこそ前年を大きく上回る6位となったが、怪我に泣かされたシーズンでもあった。
2007年も怪我に泣き、2008年シーズンを経て2009年はMotoGP™クラスに参戦。だが、チームの資金難により戦いの場を失い、2010年はTech3 RacingからMoto2™クラスへ出場し、第7戦カタルニアで初優勝を遂げる。その後、チーム移籍を繰り返し、現在は日本でKYB MORIWAKI MOTUL RACINGに所属してJSB1000クラスに参戦中だ。

2007年 RS250RW A・ドヴィツィオーゾ

2007年 RS250RW A・ドヴィツィオーゾ

昨年のMotoGP™クラスでチャンピオン争いを展開したDucati Teamのアンドレア・ドヴィツィオーゾだが、世界グランプリ125ccクラスからしっかりと成績を収めて着実なステップアップで現在に至っている。
2002年にTeam Scotから世界グランプリ125ccクラスに参戦を開始し、2004年に同クラスのチャンピオンを獲得。2005年には同250ccクラスに転向すると第2戦ポルトガルと第3戦中国で2位、第4戦フランス、第6戦カタルニア、第13戦カタールで3位となり、通算5度の表彰台獲得とともにランキング3位を得てルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝く。そして参戦2年目の2006年は前年同様にHonda RS250RWを駆り第7戦カタルニアで初優勝を達成。さらに第14戦ポルトガルで2勝目を挙げるが、この年のチャンピオンとなったホルヘ・ロレンソに17ポイント及ばずにランキング2位となった。2007年もシーズン2勝を挙げてランキング2位となり、2008年はチームとともにMotoGP™クラスへ参戦すると、現在は同クラスのトップライダーとして活躍中だ。

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